瀞ホテル とは

概要紹介

奈良、三重、和歌山の三県境に位置し、現在は食堂・喫茶のほか雑貨販売やアクティビティなどを行っています。大正6年の創業時、当館は「あづまや」という名前で筏師の宿として始まりました。昭和初期には、現在の「瀞ホテル」に名称を改め旅館として営業していましたが、平成16年に閉館。その後の「紀伊半島大水害」により別棟が流出し、宿としての再開は難しくなりました。しかし、平成25年に四代目が食堂・喫茶として営業を再開。100年以上の歴史を持つレトロな雰囲気と、現代の新しさが融合した独特な空気感を放つ「瀞ホテル」は、再び多くの方々に足を運んでいただける場所になりました。

コンセプト

何も変わらず進化する

眼下に広がる雄大な渓谷
国の特別名勝・天然記念物「瀞八丁」
その渓谷の中心地、石垣の上に建つ木造の多層建築「瀞ホテル」
地域が隆盛を極めた筏師の時代から観光への遷移を共にしてきた元旅館
先代の死去に伴い、宿としての役目を一旦終える
いま喫茶として多くの方に触れ空白の10年を巻き戻し
地域の歴史や風習を学び伝える場所として
自然遊びの拠点として
只々何もせずに過ごすための場所として
地域に根差した新たな魅力を発信していく
その先にある宿としての「瀞ホテル」再開のために

これまで歩んできた100年を受け継ぎ
次の100年へ景色や建物を変わらず残していく

代表あいさつ

瀞ホテル四代目・東達也

2013年、瀞ホテル喫茶として再開しました。幼少期に暮らし見ていた景色と建物が大きく変わらない一方で、瀞ホテルを取り巻く環境は大きく変わっていました。かつて材木産業から観光産業で栄えた集落にあった商店や建物も段々となくなり、当館が最後の観光施設となりました。時代の変移と共に観光の価値観や需要も変わっていく事は当然で、それらに順応する事で進化していく世の中で、ぽつんと取り残されたようでした。

ただ、ここに100年前と変わらない景色と建物があって、その存続を自分の手に委ねられた時、僕は変えずに残したいという思いも強く感じていました。あるお客様は、「50年前に学校の遠足で来た。」「30年前に新婚旅行で泊まった。」そう言って、それぞれお子様やお孫さんを連れて来てくださり、当時の思い出を話して下さいます。そのお子様やお孫さんがやがて大人になった時、同じように家族や大切な人を連れて来ていただけるよう、変わらず此処にあり続けたい。

先代まで続いた宿泊業ではなく喫茶として再開したように、これから先、営業形態や内容が変わる事もあるかもしれません。それは、この景色と建物を変わらず残したいという思いのもと、変化を受け入れ進化していくこともまた必然なのだと感じているからです。そんなことも考えつつ、瀞八丁の美しい景観とともに、再び宿としてお客様をお出迎えできることを目指し、じっくりと歩みを進めていきたいと思います。

沿革

1章〜瀞ホテルの前身「あづまや」の誕生〜

大正6年 初代 東覚治「あづまや」として開業
昭和3年 「瀞ホテル」発行の観光地図(地図上表記は「招仙閣」併記)
昭和21年 二代目 東茂文「瀞ホテル」継承
昭和34年 伊勢湾台風により一部家屋流出

2章〜自然災害による廃業〜

昭和48年 三代目 東悦生「瀞ホテル」継承
昭和53年 初代東覚治妻ふじゑ他界
平成3年 台風19号により一部家屋浸水
平成16年 「瀞ホテル」廃業
平成23年 台風12号「紀伊半島大水害」により別棟流出

3章〜食堂・喫茶として再開〜

平成25年 四代目 東達也「瀞ホテル」継承(喫茶として再開)
平成28年 瀞ホテル本館が奈良県指定文化財に指定される